弁天島海開き花火大会〜静岡県舞阪町






いつか行こうと思いながら交通の便と開催時期からして安値で行く方法が無いため、毎年断念していた弁天島の花火大会。
そのうちと思っていたら、何と今年で終了するという知らせが入り、
最後とあれば行かない訳にはいかないので、このような理由で初観覧になってしまうのが非常に残念であった。
行くとなればどのようにして行くか・・・
車、電車、新幹線、高速バスで乗り換えなどいろいろ検討したが、最安値でも片道8000円の出費は間逃れない。
高速代は割引で4300円と安値で抑えられても片道500キロだと1回分のガソリン代4000円は痛い出費である。
帰りはどこかのネットカフェを利用したりすると、車移動の方が安くつきそうだ。
青春18切符の利用期間内であれば迷う事は無いのだが、
それが弁天島に行こうと思いながら行けない最大の理由であった。
最終的に現地に早く着ける車移動に決めたものの、
東方面への500キロ走行は未知なる体験なので、道に迷わないようにしっかりルート検索をして出発に備えた。

家を出発したのは前日の22時30分頃。
順調に車を走らせ、時折休憩や仮眠を取りながら浜松西ICを降りたのは翌朝6時30分頃。
駐車場は無いと公表されていたが、大概どこかに駐車場は用意されており、朝一番で車を止めることが出来た。
鈍より曇り空の下、陽射しが無いため暑くも無く風も吹いて涼しい朝だった。
早速今日の舞台である弁天島で現地調査。
初めて降立った街なのに何故か懐かしく思うのは、
いつも電車で関東へ行く際に見ていた景色だったからであり、
車窓から弁天島駅を見る度にいつか花火を見たいと思ったことを思い出した。
浜名湖のシンボルである鳥居を正面に東西が一般席で正面が有料席となっており、
風向きからなのか、駅から近いからなのか西側の最前列が早くも埋まっていた。
当初、フェンス越しに三脚を立てて様子を見ていたが、
そのうち写友から有料席の誘惑もありつつも最終的にはのんびりとした東側から狙う事にした。



撮影場所が決まれば、後は19時30分までの長い待ち時間。
車に戻って仮眠をしたり、近くのバーガー屋で昼食をとったり、
浜辺でプログラムを見て打ち上がる花火を想像したり、
運動がてら裏側まで歩いて行ってみようと試みたが、
長距離移動の疲れで断念したり、そんなこんなで時間は過ぎていった。
初めて降立った弁天島だったが、今や空き地や空き店舗が目立ち、昔はそれなりに賑わいのある観光地だったことを想像させられる。
弁天島のシンボルである鳥居は、あくまでシンボルであり宮島のような歴史ある鳥居では無く、
その証拠に鳥居に設置されている照明が安っぽく感じさせ観光地が台無し。
合併して浜松市になったのだから、もう少し観光に力を入れれば流行りそうなものだが、
花火大会終了と共に寂れ行く観光地になってしまうのだろうか。



終日晴れることも無ければ雨も降る事は無かったが、
遠く見える山々には霞みがかかっており、夕方になると肌にまとわりつくような生暖かい南風が吹いていた。
その風はやがて肌寒い風に変わり、半袖では寒いくらい体感温度を下げた。
これだけ風があれば、たとえ風下でも煙でまったく見えないという最悪の事態は間逃れると思っていた。
過去にいろんな悪条件を経験したからこそ自信はあった。
しかし19時30分、開幕の10号玉は無残にも開花を待たずして昇りと共に雲の中へと消えていった。
雲の中で開花した瞬間、どれだけの人のため息が出たかは想像も出来ないが、
何よりこの私が長距離、長時間かけてここまで来たのに、昇りが見えなくなった瞬間、腰が砕けそうになった。
まだ花火が打ち上がっても無いのに、煙の影響で花火が見えなかったのではなく、
上空に雲海が発生したのではないかと思われる。
4号玉とスターマインは辛うじて見えたが、5号玉以上は敢え無く雲の中。
これだけ何も見えなければカメラから離れてただ眺めるだけしか無かった。
どれだけ多くの人達が上空の雲を飛ばそうと願ったことに違いないが、
所詮、人間の気力が発揮されるのは空想の世界だけにしかないのだと思い無力さを知った。
花火は見えなくてもプログラムは淡々と進んで行き、足早に観覧客は帰っていく人も居たが、
2尺玉の音と菊先で歓声が沸くほど盛り上がっている人も居た。
花火は見えなくとも、最後の弁天島の花火を家族、仲間、恋人と見に行ったという目的が大切なのであり、
花火が見えなくて本当にがっかりしているのは実は愛好家と写真家くらいなのかもしれない。
プログラム最後は、イケブン演出による特大スターマイン。
広範囲に扇をセッティングしていたので、予想通りワイドな演出を仕掛けてきた。
イメージどおりに鳥居を宮島のようにシルエットにして構図通りの絵になったのは、せめてもの救いの種だった。
その演出も大半は煙で見えなかったのだが・・・
風向きを考えれば裏からの撮影が適していたし、
次回があれば裏側に廻っていたに違いない。
しかし最初で最後となれば、今後、弁天島に降立つことが無いかもしれないので、
どうしても会場の雰囲気と共に花火を見たかったし、何より自分自身が近い距離で花火を楽しみたかった。
煙の影響で花火を100%楽しむどころか大半が見えない結果に終わってしまったが、
何はともあれ、いろんな意味で思い出深い撮影になったのは間違いない。



花火終了後、人の流れが落ち着くまで再度写友と会い慰めあうことでどこか心が救われたような気がした。
さすがにウナギを食べるだけのために弁天島に降立つことが無いだろうが、
何かの切っ掛けで弁天島に来る事があれば、その時は魅力ある観光地になっていて欲しいと思う。
駐車場まで戻り、車が掃けるまで軽く仮眠するつもりが気付けば翌日の3時。
さすがに動いている車の姿は見えず、気合を入れて長く遠い家路に就いた。




写真館 二千年一夜