庄原備北丘陵公園〜広島県庄原市

東日本では台風19号で甚大な被害が発生した中、
西日本は特に影響も無く、史上最悪の台風と呼ばれた19号は西と東で大きく左右される結果となった。
3連休は特に遠征の予定は無く、中日の日曜日は庄原備北丘陵公園が入園料と駐車場が無料ということで、
見頃を迎えているコスモスを見に行ってみることにした。







9時40分頃に到着。
花広場に近い第一駐車場は半分近く車で埋まっており、
3連休なのに台風で旅行を諦めた人達も大勢訪れているのかもしれない。
予報では朝から晴れの台風一過を期待していたが、
広島県北は雲の広がり台風の余韻が肌を冷たくした。
花広場には思ったほどまだ人は混雑しておらず、
台風に耐えて綺麗にコスモスは一面に咲いていた。
広い敷地内でむやみに撮影する訳には行かないので散策しながら構図を練る。
敷地内を歩いてまず気になったのは3本あるメタセコイアの存在で、
コスモスと絡めるには非常にアクセントになって良い。
構図を練って日差しを待つが、
雲と雲の隙間から時々日差しが刺すものの、
こういう時に限って人がやって来て思うようにはいかない。
またタイミング悪く高校生のカメラマン御一行がやってきて撮影会が始まる始末。
心の中では早くどこかへ行ってくれ〜と思ってイライラしていたが、
通りがかった老夫婦に声を掛けてモデルになってもらい、
撮影が終わるとお礼の挨拶をする、その姿を見て、
学生時代の部活は写真の技術だけを学ぶものじゃないのだとこの歳になって思い知らせてしまった。
ここはイライラせずに学生たちの撮影が終わるまでひたすら我慢。
そして何とか条件が揃ったところでシャッターを切った。



最初の撮影で時間を費やしてしまい、
次の撮影場所で撮影しようと思ったが、
時間が経つにつれて人は次から次へとやってくるので思うように撮影が出来ず、
人が切れて今がチャンス!と思ったら太陽が雲に隠れたり、
そんなこんなで1時間ほど撮影して帰るつもりが、
気付けば12時になろうとしていた。



撮影を程々に切り上げて、早めに購入しておいた比婆牛弁当でお昼ご飯。
コスモスを見ながら青空の下で食べる比婆牛弁当は最高に美味しくて最高の行楽日和となった。






ドイツの森 ミュージック花火大会〜岡山県吉井町

庄原備北丘陵公園から一旦、家に戻り、
台風で開催が心配されたドイツの森の花火大会を確認してから15時過ぎにドイツの森へ出発した。
3連休の中日なので道中は渋滞するだろうと案の定、玉島ICを過ぎた頃からいつも以上に渋滞は激しく、
時間を稼ぐために岡山ICまで山陽道でショートカット。
高速道路を使ったのだから2時間30分くらいで着くと想定したが、
意外と国道53号線、484号線経由のルートも時間がかかり、
現地に着いたのは17時50分だった。
ところが入り口付近が大渋滞して車が動かず、
もしかして既に満車!?かと心配したが、
何とか車を止めることが出来た。
以前来た時はこんなに渋滞していただろうか・・・
3連休の中日、前日が台風、岡山県内の花火大会が中止などいろんな要因があったかもしれない。
もし呑気に国道2号線から北上していたら、間違いなく駐車場に止めることは出来なかった。



18時を回り辺りはすっかり暗くなった。
過去に訪れているので撮影場所も決まっているので心配は無かったが、
現地へ行ってみるとこんなに人が多かったか!?というくらい芝生広場にたくさんの人が場所取りをしていた。
打ち上げまで時間があるので少し散策してみると、
バラの花壇にあるはずの筒が無い。
係り員に聞いてみると、ゴーカート場へ移動していることを知る。
これで過去の経験が生かされなくなった訳で、
花火業者も森上煙火に変更していることから、どの方向からどのように上がるのかわからなくなった。
それらしき良さそうな場所は既に三脚が並んでおり、
結局、いつもの場所から狙うことにした。



ステージではアイドルライブが始まり会場は盛り上がっている。
今回もライブが終わり19時30分、カウントダウンと共に花火が打ち上がる。
上がる角度は思ったよりも右手に上がり構図的には良かったが、
距離が離れ多分、以前に比べると体感が感じられる物足りなさがあった。
約3500発を流行りの音楽に合わせて打ち上げるまさにミュージック花火大会。
小型煙火やポカ玉の量が多いのは気になったが、
以前の業者に比べると花火らしい花火玉を上げているように見えた。

19時50分頃に終了。
特に急いで帰る必要は無いのでのんびりしながら駐車場へ向かうと、
一向に車が動いていない様子から何故にそんなことになっているのか不思議でならない。
周辺は信号も民家も無い山奥なのに事故でも起きているのかと思った。
渋滞が解消するまで車内でラグビーのワールドカップを見ながら時間を潰し、
結局、車が少しずつ動き出したのは1時間後、日本の勝利を見届けて駐車場を出た頃は既に22時を過ぎていた。
その後、作用で雲海撮影を予定していたが上空は雲が広がっていたので、
雲海撮影を諦めてそのまま帰宅した。




写真館 二千年一夜